まぁ、つまらないものですが

エンジニニャー見習いの気ままな技術ブログ、日々のログを残してゆきます。

JOKERを見てきた感想。もしくは悪意の伝播の話

Jokerを見てきた。寝すぎて13時に起きた罪悪感から逃げるように秋葉原に来た時にふとネットで話題になったり複数人から進められていたJOKERを思い出した。次回の公開が18時30分。秋葉原の違法風俗に絡まれないように大通りに逃げて時計を見ると18時10分だった。 秋葉原から上野の途中にあるTOHOシネマズまでおおよそ10分。これはある種の思し召しだろうと御徒町方面に向かった。

さて、前提を共有しておくと実はバットマンを履修していない。伊藤計劃先生がむかしブログにジョーカーのことを書いていて気になっていたもののずっと見てこなかった体たらくを許してほしい。

見る前に解説とか世界観の理解ぐらいしたほうが良いか悩んだが時間がなかったのと、基本的に何も知らずに経験することがエンターテイメントをより楽しくするスパイスだと信じている人間なのであえて何も見ずに見ることにした。

ついたときは18時18分だったが、ポップコーンと飲み物は欠かせない派なので空いているレジに並んでポップコーンとスプライトを頼んだ。食べ物を片手にモギリにチケットを見せてひとつ上のフロアへ移動してスクリーン8の扉を開く。時刻は18時34分。TOHOシネマズ恒例の長い上映予定作の広告の途中だったので席に座るまでに手早く手元のデバイスを航空機モードにして席に座った。

さて。ここまで書いてなんで一人称視点の小説っぽい書き方をしているのかデイリー80PVの程度の弱小技術ブログの数少ない読者諸兄は気になっていると思うが、実は自分にもわからない。これは感想文を書くはずだったんんだけどな…。 気を取り直して感想をざっとまとめると「いい映画だけど、面白い映画ではない。愛と勇気のアメリカンドリームの映画」だったと思う。 みた後岡田斗司夫先生のネタバレあり解説を見た。
なるほどと感じれたのと、知らないところまでフォローしているのでもし、JOKERを観た後でまだ観ていないひとは是非見てほしい。

自分は作品について批評するときどうしても引き合いに出してしまう。クリエイターの皆様には失礼なことだと百も承知しているので先に謝罪しておく。

JOKERは異常者もしくは社会からのハズレ者として描かれていると思うが、こういった異常者を描く時に大体2パターンあると思う。一つは異常者を客観的に見せられるもの。 これはどのようにひとが狂っていくのか、それによって変化する回りの人間関係と環境によってスリルとカタルシスを得るものだ。そしてももう片方は人が狂う様の内面を主観的に見せられるもの。観客に感情移入させ、少しずつ歯車をずらして行くことによってもしくは劇的な変化を与えて恐怖や畏怖などのカタルシスを引き出すもの。最初は前者だと思っていたが後半それが後者だったことに気付かされた。決定的だったのはアーサが黒人女性の部屋でくつろいでいたシーンだろう。あのシーンでこの作品は後者で有ることを示したし。自分はあそこで感情移入した。感覚的にはさせられた、と叫びたいぐらいだ。

そもそも序盤では描かれるアーサーと黒人女性(失礼ながら名前を覚えていない)疑問ではあったが個人的な感情は「こんなやつでも彼女はできるんだな…」とか「リア充なら落語者でも無いだろ…」とか自分の女性経験のなさから僻みだった。いや書いてて悲しくなるけどまぁ、その話は今はしないでおこう。
その後それが彼の妄想癖からだったもがわかる。このシーンのうまさも語りたいが、コレによってこの後起きること、そしてこれまで起きたことがどれが「真実」で「妄想」なのかがわからなくなってしまった。
そして彼女を妄想するという行為に自分自身も心当たりがある事によって多少なりとも「共感」してしまったのがよくなかった。 オタク諸兄なら経験ある人も多いんじゃないかな「俺の嫁」って奴。 そしてこの手法で思い出した作品があった。「さよならをおしえて」先に告白しておくとちゃんとプレイはしてない。けどあれも狂人の内面を描くことを徹底していた作品だったはずだ。実際にJOKERみた人たちが、精神疾患がある人間はみないほうが良いというのも近いものを感じる。 そしてももう片方は人が狂う様の内面を主観的に見せられるもの。観客に感情移入させ、少しずつ歯車をずらして行くことによってもしくは劇的な変化を与えて恐怖や畏怖などのカタルシスを引き出すもの。最初は前者だと思っていたが後半それが後者だったことに気付かされた。決定的だったのはアーサが黒人女性の部屋でくつろいでいたシーンだろう。あのシーンでこの作品は後者で有ることを示したし。自分はあそこで感情移入した。感覚的にはさせられた、と叫びたいぐらいだ。

話を戻そう。

彼の境遇にあなたは同情しただろうか。それとも哀れに思っただろうか。少なくとも24時間テレビを見て泣く方々は終盤涙なしに見れなかったんじゃないだろうか。終盤彼は真にやりたいことを、己を取り戻したのだから。彼の勇気は地下鉄で一番最初の引き金を引いたときだろう。坂で石が転がれば止まらないように。水が上から下へ落ちるように。銃で撃たれたら死ぬように。彼はその当たり前に気づけたのがあの瞬間だったんじゃないだろうか。その時に初めて己の意志を感じれたんじゃないだろうか。それまで、自分の意志が持てなかったのであれば世の中の出来事は"そうなっているから"、"そう言われたから"というレベルでしか知覚できていなかったのではないかと思う。

終盤には犯罪が犯罪を呼び街は憎悪に包まれた。ゴッサム・シティ憎悪に包まれすぎてない?
けどその憎悪をどこに向けられているのだろう。街か?社会か?権力者か?ここは人によって解釈が違うと思うが、この図式自体は僕らの日常にありふれている。

というかだ。この映画がアメリカで上映することによって悪影響を及ぼすんではないかと議論されているのはここが理由だろう。
アメリカでは富裕層たちが独立した国を作ろうしてるし。国を作らないとしても富裕層だけの街を作ることに寄る貧富の格差の拡大。税収が減ればインフラや「福祉事業」から撤退せざる追えない。けど富裕層たちはなんの問題もない。自分たちで用意できるからね。彼らは自分たちのお金が税金というフィルターを通して貧困層に再分配されることを望まなかった。つまり心当たりがありまくるわけで、この映画を見たら「明日は我が身だぞ」と脅された気分になったんじゃないかな。日本でも今年の流行語大賞に「上流国民」なんて言葉が上がってるわけで、明日のゴッサム・シティは自分の街なのかもしれない。
実際アーサーの生い立ちがリアルでないとは言い切れない。タイムリーな話をするなら京アニの放火犯が、病院で「初めて優しくされた」と漏らしたことは記憶に新しい。彼らを同情する声。同情の声を批判する声があるが、もしアーサーのような生い立ちだったら悪いのは彼だけなのだろうか?拘置所をホテルのようだと感想を漏らした黒バスの脅迫犯は?格差社会によって生まれ落ちる犯罪者たちは今後増えていくだろう。 いや、そもそもあなたがJOKERじゃないという保証がどこにある?私がJOKERな可能性は?
少なくとも僕たちのJOKERがこの思想が共感を呼び「イイね!」と「リツイート」がブームを作る現代においてどこかに暮らしているのは間違いないのだろう。

  心の健康を保つためには、深く考えないのがいちばんだし、そのためにはシンプルなイデオロギーに主体を明け渡すのがラクチンだ。 倫理の崖っぷちに立たせられたら、疑問符などかなぐり捨てろ。 内なる無神経を啓発しろ。世界一鈍感な男になれ。 正しいから正しいというトートロジーを受け入れろ。 「虐殺器官伊藤計劃

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  • 友人氏の技術ブログ 数学ガチ勢がエンジニアになっていく奮闘記